Kitajima Yuko Blog

画家。画業や雑記など

ヌードを描くを考える

『日本のヌード展』が会期を終了し3月から続いてた展示もひとまずこの展示で一段落。

この世界のスケジュール感覚を必死で覚える半年でした。
自分の容量とか立ち位置、目標設定などしっかり把握して、再び始動。

 

この半年ずっと考えてるのは自分の描く(描きたい)女性像の方向性。
いわゆる“日本画における女性像”に若干沿わないのは薄々感じてるけど。。

面白がってくれる方が居ることに凄く励まされたし、だんだん思いきれるようになってきた気が。

そもそも誰かの思い描く女性像を描く事はイラストレーターの時にいっぱいさせていただいたので
今私は私が描きたいものを描きたい。

 

私が若い頃、周りに美人は沢山いたけど、親密にさせてもらった美人は割と孤高で不器用で誤解されやすいオタクまたはガリ勉タイプが多かったんですね。
彼女らは自分からあふれ出る色香と美しさを持て余し振り回し振り回され最高に美しかった。


あれって何だったんだろう、自分の魅力をコントロールできない暴走特急のような。
描きたいのは多分、あのわけわからない迸るエネルギーを持て余しまき散らしながらも考えることをやめない女。

絵の中の女性が考えることをやめてしまったり人に委ねてしまうと、エロスや官能性が違う方向に向かっていく気がします。
ここに何か分かれ目みたいなものあると思うんですが・・。

ヌードの絵に関しては、おっぱいを逃げずに描けるかが自分のなかで勝負でした。
別になにか制約があるわけではなかったのですが、何かを吹っ切って開き直る必要があって、バンジーを飛ぶような感覚でヌードに挑んだわけです。
結果開き直る経験はとても自分に必要だったと思います。

 

案外今まで描いてたものも露出高めでセンシャルだったので観てる人からするとそんな葛藤は感じないらしく。
そうか・・・

肉感的・官能的であることと裸は若干違うと思っていて
裸は描き手としては何かopenな感じで、官能はclosedな感じ。


・・・とまあ中年期になったから考えるようになったのかも。
お年頃の時代はあれこれ無駄なような無駄じゃないようなことに一生懸命でそれどころではなかったし、考えるな感じろ状態ですもの、それが若さ。

無駄打ちまくったから今頃絵描きだしたのかも。