Kitajima Yuko Blog

画家。画業や雑記など

甲斐庄楠音と私

開催中の「デロリ、ふたたび」展
そうそうたる作家さんの中に私がなぜ・・と過りながらも、前のめりで制作させていただきました。

DM

↑思い出に残るひときわ濃厚なDM。

デロリ、ふたたび
ぎゃらりい秋華洞
https://syukado.jp/exhibition/derori_2022/

6/4(土)まで
甲斐庄楠音作品を現代作家がオマージュ

池永康晟、岡本東子、松浦シオリ、木村了子、高資婷、北島優子


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甲斐庄楠音の『舞ふ』というお題が与えられてから数カ月。
頂いたたくさんの資料と、中古で画集や特集雑誌を買い集め、思案の溝へ。浅…

読めば読むほど『なんだかわかる・・・』と思える部分もちらほらある。
セクシャリティと作品の関係性とかね。私は甲斐荘とは生まれた時代も地域も性別も何もかも違うようで、モノクロに変換すると明度彩度は似通っている…のような妙な親近感を抱く。

私は7歳くらいのころからかわいいを置き去りに(スキップ?)して成熟した美しい女性が好きで、よく裸の女を描いていた。ソースは『ファッション通信』だ。
それは控えめに言っても小学生が描くようなものではなかったので、本気で危惧され、描く事を禁止された。
今自分が親になって、親の心配が痛いほどわかる。きっと私も阻止する。
それでも描かずにはいられないので隠れて描いた。

で今、結婚して子供産んで育てて女も盛りを過ぎた中年真っ只中の自分が思うに
思春期前のあの強烈な憧れる感じ、紙に描かなくては!!私は描きたいんだ!!というあの狂った感覚。
あれが自分の最高にアートな頃だった。

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甲斐庄楠音は男性。
集めた資料には恋愛対象が男性であったと。これは甲斐庄楠音を知るうえで基本のき。
いわゆるノンケの男性を好きになることもあったかも知れないので、【女】になりたいと思う瞬間もあったのではないか。

となると甲斐庄楠音は【女】に強烈な興味は抱くが恋愛感情は無いので、あの残酷なまでに解像度の高い
容赦ない【女描写】をしたのではないか。
“女”の生態を徹底研究して自分の中にインストールしようとしたのか、彼の目的は彼しか分からないが…


私も似たような要素があるな、とちょっと思う。
しかし美人というのは、私がインストールしてなれるものではないと描きながら早々に悟ったので 美人を観察し女の生理を考察する人として生きている。

 

美人として生まれると美人としての使命や活動があるのでしょう。美人故の呪いもあるのでしょう。

甲斐庄楠音はたくさんの理不尽や苦悩もあったと思う。
その反面平凡に生まれ育ったら体験することのない享楽も貪ったと思う。
それらの経験なくしてあの芸術は成しえなかったようにも思う。
一筋縄にはいかない経験は、表現にじわりと凄味を与えてくれるのではないだろうか。

 


そりゃ未だに色褪せぬ題材にもなるわ、と思うような魅力に溢れた画家であるということが分かって 自分なりに掘り下げる機会をいただけて本当に幸せな制作だった。